世界大百科事典(旧版)内のペーローズの言及
【ササン朝】より
…シャープール2世の死後,大貴族やゾロアスター教祭司階級は王権の制限につとめ,しばしば王位継承に干渉した。5世紀半ばには東方にエフタルが出現し,ペーローズPērōzの時代はエフタルの侵入とうち続く大飢饉に苦しんだ。カワード1世Kavādh Iは,当時国内に起こっていたマズダク教の社会運動,他方ではエフタルの力を利用して大貴族や祭司階級の勢力を抑え,王権の強化をはかった。…
【唐】より
…シルクロードは,唐初にあっては,ペルシア文化東漸の道であった。ササン朝ペルシアは,広大な地域を約400年も支配し,建築,彫刻や工芸などにすぐれた業績を残したが,その最後の王が651年にイスラム軍に敗北したとき,王子のペーローズPērōzが救援を求めてはるばる唐にやってきたこともあり,滅亡の前後に,その文物が盛んに中国に流入した。唐の金銀器や染織の意匠と文様には,忍冬(にんどう)唐草や騎馬狩猟文が多く,胡騎ともども,ササン朝様式が濃厚にみられる。…
※「ペーローズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」