世界大百科事典(旧版)内のホフマン,J.の言及
【ザールラント】より
…そして1946年1月2日にザール炭坑をフランスの管理下におき,フランスとの政治的併合に賛成するグループを優遇した。47年12月15日発効の憲法に基づき,首相に親仏派のホフマンJohannes Hoffmannが就任し,48年4月1日にはフランスとの関税同盟が成立した。しかし,50年3月5日のザール協定によりフランスが政治的軍事的一体性をもつザールの自治を認める代償として50年間のザール炭坑の租借の約束を得たため,西ドイツがこれに抗議してザールラントの自治権を主張し,抗議の気運は52年4月23日の連邦議会決議において頂点に達した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」