世界大百科事典(旧版)内のホーネッカー,E.の言及
【ドイツ民主共和国】より
…東ドイツは日本を含む西側諸国と次々に国交を樹立し,東ドイツに対してこれまで行われていた経済封鎖も緩和されるにいたった。 1971年ウルブリヒトに代わってSED中央委員会第一書記となったホーネッカーErich Honecker(1912‐94)は,発達した社会主義社会の建設推進という基本課題は継承しながら,ドイツ再統一の夢をなお完全には捨て去ることのなかったウルブリヒトの路線を否定し,東ドイツ独自の社会主義的国民の成立という考え方を強く打ち出すようになった。すなわち,建国当時の49年憲法では〈ドイツは不可分の民主共和国〉であるとうたって,ドイツの国家としての一体性を強調し,68年憲法でも〈ドイツ国民の社会主義国家〉という規定によりなおドイツ国民としての一体性が意識されていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」