世界大百科事典(旧版)内のボエボダの言及
【モスクワ・ロシア】より
…これはときに地方士族や商人の強い政府批判の場となり,1649年に全国会議の承認した〈会議法典〉には,君主権強化の条項などと並んで,農民問題や都市問題に関して士族と商人の要求が大幅に取り入れられた。しかしこの法典やほかの法令,政策で彼らの基本的要求が満たされる一方,社会の身分的編成が進み,相次ぐ官庁の新設・分割・統合と官僚制の強化,全国的に配置された地方行政官(ボエボダ)への地方自治機関の従属化のなかで,全国会議はその役割を失っていった。貴族会議もロマノフ一門やツァーリの恩顧に頼る者で占められてしだいにその実質をなくし,アレクセイは枢密庁を設けて政治を独裁し,モスクワ総主教ニコンの失脚で教会に対する支配権も強め,モスクワ国家はその末期に絶対主義への傾斜を強めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」