世界大百科事典(旧版)内のボヘミア王国の言及
【チェコ】より
…その結果,プシェミスルの諸侯のなかにはブラチスラフ2世(在位1061‐92)のように皇帝から王の称号を手に入れた者もあったが,それらはいずれも一代限りであった。12世紀末に出たプシェミスル・オタカル1世Přemysl Otakar I(在位1198‐1230)は初めて世襲の王号を獲得し(1198),1212年にはボヘミア王国の独立が正式に承認された。のちにボヘミア王国は実質的にオーストリア・ハプスブルク家の支配下に入るが,王国としての形態は1918年まで保った。…
【ボヘミア】より
…ドイツ語のベーメンはBaiohaemum(〈ボイイ人の故郷〉)という意味である。 中世には,ボヘミア王国(モラビア辺境伯領,シュレジエン公領,ボヘミア王国領により構成)の中心部分で,同時に神聖ローマ帝国に属し,1806年の帝国解体後は新たに発足したオーストリア帝国(1867年よりはオーストリア・ハンガリー二重帝国)領となり,かつ1815年に形成されたドイツ連邦にも属した。このように中世以来,宗教,文化,政治,経済のあらゆる面でドイツ・オーストリアの影響が著しく強かった。…
※「ボヘミア王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」