世界大百科事典(旧版)内のボリシャヤ・レチカ文化の言及
【マイエミール文化】より
…轡(くつわ)や鏡の型式,鉄器が完全に欠如していることを規準として,マイエミール草原,ソロネチヌイ・ベロク付近などのいくつかのクルガン(墳墓)や偶然の発見物がこれにあてられた。ボリシャヤ・レチカ集落址などのオビ川上流域やカトゥン川下流域の遺跡もこれに含まれるとされたが,それらは後にボリシャヤ・レチカ文化として区別されている。アルタイ地方のこの時期の文化の編年には研究者によって意見の相違がある。…
※「ボリシャヤ・レチカ文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」