世界大百科事典(旧版)内のボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂の言及
【アレイジャディーニョ】より
…18世紀に栄えたミナス・ジェライス州の主都オウロ・プレトを中心にポルトガル本国の後期バロック様式をさらに洗練させた建築と力にあふれた彩色装飾彫刻で活動。聖フランシスコ・デ・アシス(1766着工,オウロ・プレト)や,ボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂(1795,コンゴーニャス・ド・カンポ)とそこにあるロココ的な6群の〈十字架への道〉の木造彩色群像(1796‐99),とくに聖堂前に配された12人の石造預言者像(1800‐05)などは時代様式を超えた重厚な表現を示す。【坂本 満】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」