世界大百科事典(旧版)内のボージャの言及
【パラマーラ朝】より
…領域のマールワ地方は交通の要衝であったため,つねに隣接の諸王朝の進攻を受けて戦った。11世紀前半のボージャBhoja(在位1018ころ‐55ころ)は文芸を保護した王として有名であるが,治世の最後には北東方のカラチュリ朝と西方オグジャラートのチャウルキヤ朝の連合軍に敗れて死去した。その後王朝は再興し,デカンのチャールキヤ朝,その後グジャラートのチャウルキヤ朝に服属しながら領域を維持したが,1305年にデリーのハルジー朝に滅ぼされた。…
【プラティーハーラ朝】より
…この間,北インド最大の政治都市カナウジを占領し,ここに首都を遷している。王朝に最盛期をもたらしたのはボージャ1世Bhoja I(別名ミヒラMihira,在位836ころ‐885ころ)である。彼の征服事業によって,王国の版図はガンガー(ガンジス)流域と中央インド,西部インドのほぼ全域にわたる広大なものとなった。…
※「ボージャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」