世界大百科事典(旧版)内のボータ,L.の言及
【スマッツ】より
…1895年帰国後トランスバール共和国大統領クリューガーの知遇を得て国選弁護士となり,ボーア戦争中はボーア軍ゲリラを率いて戦った。1905年L.ボータと人民党を結成し,ボーア人の自治権回復を要求して渡英,06年トランスバール自治権回復とともにボータ自治政府の植民地次官兼教育相に就任した。10年の南アフリカ連邦成立後,鉱業・国防・内相となり,ボータと南アフリカ党を結成した。…
【南アフリカ】より
…戦後イギリスはボーア人との和解を図り,10年にケープ,ナタール,トランスバール,オレンジ自由州の4州から成る南アフリカ連邦が成立した。 連邦最初の首相となったボータLouis Botha(1862‐1919)の政府は,鉱山での白人労働者を保護するため,最初の人種差別法といわれる〈鉱山・労働法〉を1911年に制定し,13年にはアフリカ人を原住民指定地に隔離する〈原住民土地法〉を立法化した。第1次世界大戦中,南ア連邦は連合国側につき,ドイツ領南西アフリカ(現,ナミビア)を占領,戦後国際連盟の委任統治領とした。…
※「ボータ,L.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」