世界大百科事典(旧版)内のボールトン,M.の言及
【産業革命】より
…しかし,ダービーの発明以来,その需要は急増し,1800年の生産量は1100万tを超えた。T.ニューコメンの大気圧機関を改良したワットの蒸気機関も,本来は炭坑の排水用に使われたものだが,1769年に認められたワットの特許を商品化するのに力を貸したスコットランドのJ.ローバック,バーミンガムのM.ボールトンがいずれも製鉄業者であったことは,鉄と石炭と蒸気機関の密接な関係を象徴している。 1781年にこれもワットがクランクの装置を発明し,往復運動を回転運動に転換することが可能となり,紡績機や機関車などに蒸気機関が利用される道が開かれた。…
【ボールトン・ワット商会】より
…イギリス産業革命期に活躍した世界最初の蒸気機関製造会社。蒸気機関の発明者であるJ.ワットとバーミンガムの金属加工業者ボールトンMatthew Boulton(1728‐1809)との合名会社として1775年設立された。同商会は当初,蒸気機関の設計,設置,コンサルティング業務に専念し,シリンダーをはじめ部品の大部分は外注していた。…
【ルナ・ソサエティ】より
…十数人から成る地域的団体であったにもかかわらず,医学,化学,博物学の一流学者と実業家が参集し,ここから新興都市の産業革命熱を背景に蒸気機関や紡績機械,陸運・水運の改良,工業用苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)や陶器の新製法,教育方法の改革など,応用科学を中心に多くの業績が生まれた。その発端は1765年に締め金具の製造者ボールトンMatthew Boultonと医師E.ダーウィン(C.ダーウィンの祖父),教育者スモールWilliam Smallがアメリカ人フランクリンとともに催した月例談話会にある。これに陶器業者ウェッジウッド,蒸気機関の開発者ワット,化学工業の開拓者キアJames Keir,馬車の緩衝装置を発明したエッジワースRichard Edgeworth,それに気体化学の先駆者J.プリーストリーが加わり,相互啓発によって多数の新くふうや理論を生みだした。…
【ワット】より
…1766年に大学内の仕事場を閉めていた彼は,機関の開発で生じた負債の返済と安定した収入を得るため69年から運河建設の測量技師として働くが,恐慌によるローバックの破産(1773)と,その直後の妻の死により機関の開発に戻る決意をし,74年にスコットランドを去ってバーミンガムへ向かった。金物工業が発展しつつあったバーミンガムには,ソホーで優れた機械作業場を経営するボールトンMatthew Boulton(1728‐1809)がおり,ボールトンは1773年にローバックから特許権を譲り受けていた。ワットはボールトンの援助でキンネイルから運んだ機関の改良に専念し,中ぐり盤を発明したJ.ウィルキンソンが提供した精度のよい鉄製シリンダーを用い,実用化試験に成功を納めた。…
※「ボールトン,M.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」