世界大百科事典(旧版)内のポデスタ制の言及
【ファシズム】より
…第1は,国家機構の立て直しとそれの防衛に関するもので,結社規制法,国家防衛法,特別裁判所の設置などである。第2は,中央の行政機関に権力を集中する措置で,政府首長(ムッソリーニ)の権限を大幅に拡大する法や市町村長を公選制から政府任命のポデスタ制にする法などに表される。第3は,労使関係と生産組織に関連する問題で,集団的労働関係規制法やコルポラツィオーネ省の設置などがそれである。…
【フィレンツェ】より
…フランスからローマに至る中世の主要道路であった〈ビア・フランチージェナ〉(フランス街道)がこれらの町の近くを通っていたのに対し,フィレンツェはやや外れていたからである。近隣都市との抗争は,13世紀になると都市内に教皇派(ゲルフ),皇帝派(ギベリン)の対立を生み出し,都市政治は混乱し,13世紀初頭には他都市出身の司法官に一定期間の政治をゆだねるポデスタ制が成立した。 1250年の皇帝フリードリヒ2世の死とともに,フィレンツェは教皇派の中心都市としての地位を確立した。…
※「ポデスタ制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」