ポノマリョボ遺跡(読み)ぽのまりょぼいせき

世界大百科事典(旧版)内のポノマリョボ遺跡の言及

【イサコボ文化】より

…A.P.オクラドニコフによって1950年に提唱されたバイカル地方新石器編年の第2期で,前4千年紀に比定される。アンガラ川右岸,イサコボIsakovo村から10.5km離れた段丘上の2基の墓を基準に命名された。第2号墓からの出土物は,猪牙製装身具,植刃骨槍,丸のみ石斧,石鏃などがあり,北東頭位の伸展葬人骨が検出された。第1号墓からのみ,土器破片が出土し,織布文(編目文)の文様をもっている。この期の墓は,ポノマリョボ,ブラツキー・カーメニなどで調査され,丸底で,口縁部に刺突文と斜位の刻みがあり,地文に織布ないし網目の押捺文をもつ土器が出土している。…

※「ポノマリョボ遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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