世界大百科事典(旧版)内のポレックスフェン,J.の言及
【重商主義】より
…他面,こうした自由貿易論の見地は,17世紀の70,80年代に始まる東インド産綿布とイギリス産毛織物との競争関係をめぐる〈キャリコ論争〉を契機にして,ウィッグ党的な国内産業保護主義との対立を表面化させるに至った。J.ポレックスフェンなどが保護主義の代表者であるが,この保護主義も国内産業の生産力全体の上昇ではなく,労働・雇用・勤労の差額として貿易バランスを順にもたらすかぎりでの生産力上昇を企図していたにとどまる。 18世紀にはいると,フランスの絶対主義的重商主義(コルベルティスムcolbertisme),とくにイギリス産毛織物に対する重関税政策に対抗して新市場を獲得するためにメシュエン条約(1703),ユトレヒト条約(1713)が締結され,後者の付帯条項〈英仏自由通商条項〉に関しては〈英仏通商論争〉が引き起こされたが,結局,英仏の自由通商は1786年のイーデン条約まで延引された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」