ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポーランド王国」の意味・わかりやすい解説
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…しかし,このようにポーランドが少数民族を内部に抱え込まなかった時期はポーランド史では初めてのことであり,むしろ戦間期のように,ポーランドは多くの民族によって構成されていた時期のほうが常態であった。 〈ポーランド王国〉の概念が登場したのはカジミエシュ世(大王,在位1309‐70)の時期とされるが,このとき王国を構成していたのは,必ずしもポーランド人だけではなかった。現在ならウクライナ人,ユダヤ人,ドイツ人とされるような者が数多く臣民として大王の保護を受けており,逆に現在ならポーランド人とされて当然だと思われるような者が,王国には属していなかった。…
…ブワジスワフ2世で始まったポーランドとの王朝連合のもとで国制もポーランド化した大公国は,リボニア戦争中のルブリンの連合(1569)で,形式的には対等ながら事実上ポーランドの従属領となり,またこの時ウクライナをポーランドに譲った。この後も16世紀末の教会合同に対する東部の東方正教徒の反発,17世紀中葉のスウェーデンの侵入の際のリトアニアの名門ラジビウ家Radziwiłłowieによる分離運動などがみられたが,1569年以後大公国はおおむねポーランド王国と運命をともにし,ポーランド分割で解体した。(2)19~20世紀 大公国領のうちリトアニア本土は,1795年の第3次ポーランド分割で大部分がロシア領,ナムナス川以西がプロイセン領となったが,後者はナポレオン戦争後のウィーン会議でロシア主権下のポーランド王国に入った。…
※「ポーランド王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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