世界大百科事典(旧版)内のマイヤー,A.の言及
【グロピウス】より
…ベルリンに生まれ,ミュンヘンとベルリンで建築を学ぶ。ベーレンスの事務所に勤めた後独立,マイヤーAdolf Meyer(1881‐1929)と共同で設計したファグス靴工場(1911)で認められ,やはりマイヤーの協力を得てドイツ工作連盟博覧会にモデル工場(1914)を発表,若くして指導的建築家となる。第1次大戦で兵役に服したが,敗戦後はいち早くベルリンにてB.タウトらと芸術労働評議会を結成,建築を中心とした前衛的な造形芸術運動をおこす。…
【バウハウス】より
… グロピウスの最初のマニフェスト(1919)で明らかにされたように,バウハウスにおいてはあらゆる造形活動は窮極的に建築に統合されるという考え方があったが,J.イッテンの提案した〈予備過程Vorkurs〉がその教育の特色をなすようになった。最初に招いた教授はイッテンのほか,マルクスG.Marcks,ファイニンガーL.Feininger,マイヤーA.Meyerで,ついでムッヘG.Muche,O.シュレンマー,P.クレー,W.カンディンスキー,さらにL.モホリ・ナギ等が招聘(しようへい)された。イッテンは23年にバウハウスを去るが,広い視野で造形の基礎的探究が中心に据えられたのはイッテンの功績である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」