ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マク・ダン・ズン」の意味・わかりやすい解説
マク・ダン・ズン
「莫登庸」のページをご覧ください。
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…16世紀,ベトナムのレ(黎)朝を簒奪し,ベトナムの大分裂期(1527‐1786)をもたらした一族。マク(莫(ばく))氏の祖は中国人といわれ,代々漁を業としていたが,マク・ダン・ズンMac Dang Dung(莫登庸(ばくとうよう))の時,武官としてレ朝に仕え,宮廷の混乱を利して実力を得,1527年レ帝に強請して帝位を奪った。しかし各地の軍閥はこれを認めず,全土が内乱状況になった。…
…一隊はさらにメコン川上流を進んでビルマ(現ミャンマー)領にまで至った。 タイントンの死後,皇帝権力は急速に衰え,権臣間の武力対立がしばしば起こるようになり,1527年に権臣マク・ダン・ズンMac Dang Dung(莫登庸(ばくとうよう))が帝位を奪い,レ朝はいったん滅びた。しかし,32年にグエン・キムNguyen Kim(阮淦)がチャントン(荘宗)を擁してラオスに挙兵し,次いでタインホアに拠ってマク氏に対抗した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」