莫登庸
ばくとうよう
Mo Deng-yong; Mac Dǎng Dung
[生]?
[没]1541
ベトナム,後黎朝を簒奪し,莫朝を開いた武将。ベトナム音でマク・ダン・ズン。ハイ・ズオン (海陽) の宣陽県古斎の出身で,内乱鎮定の功により勢威を得,恭皇に迫って譲位させ,みずから帝位について (在位 1527~29) 莫氏政権を樹立した。次いで前皇帝一族を殺害し,諸制度を改めて政権の基礎を築いた。在位3年で 29年に帝位を長子の登瀛に譲ったが,その後も随時政治に関与した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の莫登庸の言及
【マク氏】より
…16世紀,ベトナムの[レ(黎)朝]を簒奪し,ベトナムの大分裂期(1527‐1786)をもたらした一族。マク(莫(ばく))氏の祖は中国人といわれ,代々漁を業としていたが,マク・ダン・ズンMac Dang Dung(莫登庸(ばくとうよう))の時,武官としてレ朝に仕え,宮廷の混乱を利して実力を得,1527年レ帝に強請して帝位を奪った。しかし各地の軍閥はこれを認めず,全土が内乱状況になった。…
【レ朝】より
…一隊はさらにメコン川上流を進んでビルマ(現ミャンマー)領にまで至った。 タイントンの死後,皇帝権力は急速に衰え,権臣間の武力対立がしばしば起こるようになり,1527年に権臣マク・ダン・ズンMac Dang Dung(莫登庸(ばくとうよう))が帝位を奪い,レ朝はいったん滅びた。しかし,32年にグエン・キムNguyen Kim(阮淦)がチャントン(荘宗)を擁してラオスに挙兵し,次いでタインホアに拠って[マク氏]に対抗した。…
※「莫登庸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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