マニシュトゥシュ(読み)まにしゅとぅしゅ

世界大百科事典(旧版)内のマニシュトゥシュの言及

【アッカド】より

…この時代にバビロニア北部でセム人要素とアッカド語が支配的となり,以後この地がアッカド,後のバビロニア地方が〈シュメール・アッカド〉と呼ばれるにいたった。伝承の伝えるサルゴンの56年の長い治世,その子リムシュおよびマニシュトゥシュの計24年,後者の子で祖父サルゴンと並び称せられる大征服者ナラムシンの37年,その子シャルカリシャリの25年,計5代142年の治世年数は,ほぼ信頼しうる。1度の兄弟相続を除いて親子継承が行われ,かつそれぞれ相当長い治世年数を有したことは,各王の即位時や治世末期の宮廷陰謀とシュメール都市の大反乱,またたび重なる蛮族侵入にもかかわらず,5代100余年にわたって王国が維持されたことを示す。…

※「マニシュトゥシュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

〘 名詞 〙 ( 牽牛と織女の別れを悲しむ涙雨の意 ) 陰暦七月七日に降る雨。せいるいう。《 季語・秋 》[初出の実例]「歳時雑記曰、〈略〉七日雨、則曰二洒涙雨一」(出典:俳諧・滑稽雑談(1713)七...

洒涙雨の用語解説を読む