世界大百科事典(旧版)内のマラテスタ家の言及
【シニョリーア制】より
…中世末期のイタリア都市における事実上の君主制。シニョリーアsignoriaは主権を意味する。古代ギリシア都市の例を援用して〈僭主制〉と訳す場合もある。また主権を掌握した君主をシニョーレと呼ぶ。11世紀以降,北・中部イタリアの各地に成立したコムーネ(都市国家)は,13世紀に入ると党派の対立,都市相互の抗争の結果,政治的な安定を失い危機を迎えることになった。一部の都市,とくに大都市に圧迫されているロンバルディアやロマーニャの中小規模の都市において,権力を一人の有力者の手に集中することによって危機を克服する試みが行われた。…
【リミニ】より
…その後,ランゴバルド族に占領されたが,ピピンはランゴバルド族を制圧し,ペンタポリス(五都市)の一つとして教皇に寄進した。12世紀にコムーネとなり,13世紀末,豪族マラテスタ家の支配下でリミニは繁栄の頂点に達した。16世紀初頭から再び教皇領となった。…
※「マラテスタ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」