世界大百科事典(旧版)内のマラン,D.F.の言及
【国民党】より
…24年の総選挙で白人労働者の保護をスローガンに労働党と連合して圧勝し,新首相ヘルツォークは一連の〈文明化労働政策〉を実施した。34年南アフリカ党と合して新たに連合党が結成されたが,これに反対する国民党のマランDaniel F.Malan(1874‐1959)は純正国民党を結成した。第2次大戦後国の内外で起こった民族運動の高揚に対し,マランは白人の危機を訴え,アパルトヘイト政策を掲げて48年総選挙で連合党に勝ち,以後国民党はストレイダム,フルウールト,フォルスター,P.ボータ政権と,一貫して人種差別政策を強化してきた。…
【南アフリカ】より
…第2次世界大戦に際しても南ア連邦は連合国側に立って参戦した。 第2次大戦後にアジア,アフリカ各地で起こった反植民地闘争や,さらには国内のアフリカ人の反人種主義闘争の高揚に対し,国民党のマランDaniel François Malan(1874‐1959)は白人有権者にアパルトヘイトの必要を訴え,1948年の総選挙で圧勝した。マランは選挙公約に基づき〈人種間通婚禁止法〉(1949),国民の人種別区分を定める〈人口登録法〉(1950),人種別に居住区を定める〈集団地域法〉(1950)などの人種差別法を次々と立法化し,またアフリカ人民族運動を弾圧した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」