マルジュ・ダービクの戦(読み)まるじゅだーびくのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のマルジュ・ダービクの戦の言及

【ガウリー】より

…ブルジー・マムルーク朝末期のスルタン。チェルケス系で,在位1501‐16年。グーリーGhūrīともよばれる。ポルトガルのインド洋進出に対してマムルーク艦隊を派遣するが,インド,カーティアーワール半島のディウDiu島沖海戦で敗北し(1509),この方面の制海権と通商権益を失った。オスマン帝国のセリム1世の東方イスラム世界への進出は両朝を宿命の対決へと導いたが,アレッポ北方のマルジュ・ダービクMarj Dābiqの戦で大敗し,奮戦空しく戦死した。…

【マムルーク朝】より

…エジプト,シリア,ヒジャーズを支配したトルコ系マムルークのスンナ派王朝。1250‐1517年。首都はカイロ。バフリー・マムルークBaḥrī Mamlūk朝(1250‐1390)とブルジー・マムルークBurjī Mamlūk朝(1382‐1517)の前後2期に分かれる。 バフリー・マムルークは軍団の兵舎がナイル川(バフル)のローダ島にあり,ブルジー・マムルークはカイロの城塞(ブルジュ)に兵舎があったことに由来する。…

※「マルジュ・ダービクの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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