世界大百科事典(旧版)内のマルリッチ,M.の言及
【ダルマツィア】より
…その後ハンガリーとベネチアの係争地域として目まぐるしく支配者が替わったが,15世紀から18世紀末まではベネチアが覇権を握り,ザーラ(ザダル)に総監督官,各地に監督官を置いて統治した。オスマン・トルコとの絶えまない交戦にもかかわらず,イタリア文化の影響は大きく,人文主義者のマルリッチMarko Marulić(1450‐1524),詩人グンドゥリッチ,科学者ボシュコビッチRudjer Bošković(1711‐87)が輩出して,他の南スラブ地方に見られぬ知的水準に達していた。18世紀末ナポレオン戦争の結果ダルマツィアはオーストリアへ譲渡され,1805年にはフランス領となり,15年のウィーン会議で再びオーストリアに帰属した。…
【ユーゴスラビア】より
…15世紀にはペトラルカなどイタリア人作家の影響を受けて,詩歌,戯曲,散文に新しい傾向の作品が生まれた。16世紀に入るとドゥブロブニクを中心にスプリト,サダル,シベニク,フバル島などの海岸都市にルネサンス文学が花開き,マルリッチMarko Marulić(1450-1524),ルツィチHanibal Lucić(1485?-1553),ドルジッチらが輩出した。しかし,ドゥブロブニク文学は17世紀のグンドゥリッチで頂点に達し,その後衰弱した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」