マレショフの戦(読み)まれしょふのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のマレショフの戦の言及

【フス派戦争】より

…ボヘミアのフス派教徒の反乱(1419‐36)。宗教改革者フスが1415年にコンスタンツで処刑されたのち,ボヘミア全土は教会改革の波に洗われた。19年7月,プラハで急進的な司祭ジェリフスキーに率いられたフス派の示威行進が行われたさい,彼らは市庁舎を襲い,市参事会議員,聖職者らを庁舎の窓から放り出した。国王バーツラフ4世はこの事件に衝撃を受け,卒中で死亡。ハプスブルク家の皇帝ジギスムントが跡を継ぐが,フスの焚刑を彼の責任とするフス派は,彼の即位を認めなかった。…

※「マレショフの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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