マンスーラの戦(読み)まんすーらのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のマンスーラの戦の言及

【バイバルス[1世]】より

…在位1260‐77年。キプチャク生れのトルコ人で,モンゴル軍の捕虜となってシリアへ売られ,次いでアイユーブ朝のスルタン,サーリフのマムルーク(奴隷軍人)となり,1250年マンスーラの戦でルイ9世を捕虜にしてから頭角を現した。60年にアイン・ジャールートの戦でモンゴル軍を撃退した後,マムルーク朝スルタン,クトゥズを殺して自らスルタンとなり,アッバース朝カリフの擁立に続いてスンナ派四法学派を公認,さらにバリード網を整備してマムルーク朝国家の基礎を確立した。…

※「マンスーラの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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