ミハウ・コリブト(読み)みはうこりぶと

世界大百科事典(旧版)内のミハウ・コリブトの言及

【ポーランド】より

…4度目の空位期である。シュラフタはウクライナ地方に広大な領地をもつマグナート,ミハウ・コリブトMichał Korybut Wiśniowiecki(1640‐73)とヤン・ソビエスキJan Sobieski(1629‐96)をそれぞれ支持する二つのグループに分かれて対立した。 69年まず国王に選ばれたのはミハウ・コリブトであり,彼はフメリニツキーの反乱を引き起こす原因をつくったイェレミ・ビシニョビエツキJeremi Wiśniowiecki(1612‐51)の子であった。…

※「ミハウ・コリブト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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