ミュールハウゼン市民・農民合同団(読み)みゅーるはうぜんしみんのうみんごうどうだん

世界大百科事典(旧版)内のミュールハウゼン市民・農民合同団の言及

【ドイツ農民戦争】より

… チューリンゲン地方では,ミュンツァーを中心として運動がすすめられた。ミュンツァーは1525年3月ミュールハウゼン市の市会を改組して〈永久市参事会〉を設立し,4月下旬ミュールハウゼン市民・農民合同団を成立させ,ほかにフルダ修道院領,ランゲンザルツァ,エルフルトなどに農民団が結成され,多くの修道院,城砦を焼き払った。 ルターは,南西ドイツの農民蜂起に対して《シュワーベン農民の十二ヵ条に対する平和勧告》を書いて同情的態度を示したが,チューリンゲン農民の背後に〈革命の神学者〉ミュンツァーがいると知るや,《農民の殺人・強盗団に抗して》を著して,断固弾圧すべしと説いた。…

※「ミュールハウゼン市民・農民合同団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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