《ミラノのイリアス》(読み)みらののいりあす

世界大百科事典(旧版)内の《ミラノのイリアス》の言及

【初期キリスト教美術】より

…ただし,ラベンナのように,東ゴートによる短期間の支配の時期を除いてビザンティンと長く強い連帯を維持した所では,5~6世紀にかけて,ビザンティン的傾向の強い数々の優作を生んだ(王妃ガラ・プラキディアの廟堂モザイク,450ころ)。またこの時期には,《ウェルギリウス・ウァティカヌス》(400ころ),《ミラノのイリアス》(500ころ)のようなみごとな挿絵入りの古代風写本が生まれている。(3)6世紀以降,東方では,ユスティニアヌス1世の下でビザンティン美術が確固たる形式を獲得した。…

※「《ミラノのイリアス》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む