世界大百科事典(旧版)内のムニョス・マリン,L.の言及
【プエルト・リコ】より
…98年のパリ講和条約によってアメリカ領となった後は,1900年に民政に移行,17年には住民はアメリカ市民となったが,自治あるいは独立を求める声が高まったため,アメリカ政府は46年に初めてプエルト・リコ人知事を任命し,48年には初の民選知事が誕生した。初代民選知事ムニョス・マリンLuis Muñoz Marin(1898‐1980)の下で経済発展が急速に進められ,さらに52年には住民投票により現行の自由連合州憲法が制定され,プエルト・リコの現在の地位が定められた。自由連合州は,知事,上下両院議員を民選し,内政問題に自治権をもつが,主権はアメリカ合衆国にあり,アメリカ合衆国の領土である。…
※「ムニョス・マリン,L.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」