ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤ(読み)むはんまどぶんあるはなふぃーや

世界大百科事典(旧版)内のムハンマド・ブン・アルハナフィーヤの言及

【イマーム】より

…ただしシーア派では,この用い方は不敬であるとする考え方が強い。 イマームを特定の人物の称号として最初に用いたのは過激シーア派のカイサーン派で,ムフタールMukhtārはムハンマド・ブン・アルハナフィーヤMuḥammad b.al‐Ḥanafīya(?‐700)をイマームおよびマフディーと奉じ,クーファで反乱を起こした。反乱が鎮圧され,700年にムハンマドが没した後,カイサーン派の主流はムハンマドが隠れイマームとなり,最後の審判の日に地上に再臨して正義と公正とを実現すると説いた。…

【ムフタールの乱】より

イブン・アッズバイルがカリフ位を僭称中に,過激シーア派のカイサーン派のムフタールMukhtār b.Abī ‘Ubayd(622‐686)がクーファで起こした反乱。彼は,ハニーファ族の女が生んだアリーの息子ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤMuḥammad b.al‐Ḥanafīya(?‐700)をイマームにしてマフディー,自らをそのワジール(代理)と称した。アリーの子フサインの血の復讐を求め,685年10月,ウマイヤ朝の総督を追放しクーファに政権を樹立し,一時はバスラを除くイラク南半とペルシア南西部を支配した。…

※「ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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