世界大百科事典(旧版)内のムルトゥク峡谷の言及
【トゥルファン】より
… トゥルファンの周辺には,歴史的な各時代の都城址や,古墓群が散在し,この地がシルクロード上の要地であったことから,東洋史研究の一宝庫と目されている。都城址としては,トゥルファン県の西およそ10kmの地にある交河古城址と,南東およそ45kmの火焰山の南麓にある高昌古城が双璧であり,石窟としては県城の北東45kmの火焰山北麓に沿ったムルトゥク峡谷にあるベゼクリク石窟と,東40kmの地にあるセンギム・アギヌ石窟など,古墓群としては高昌古城の北1kmの地にあるアスターナとカラホージョ,それに交河古城周辺の古墓群がある。これらのうち,ヤルホトとも呼ばれる交河古城は,その名のごとく,城の東西を二つの河川によって取り巻くように挟まれた台地の上にある山城で,天然の要塞になっているために城壁のないのが珍しい。…
※「ムルトゥク峡谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」