世界大百科事典(旧版)内のムンカッチ,M.の言及
【報道写真】より
… ドイツでは1920年代の後半から,ドイツ労働者写真家連盟の機関誌に載せられた下級労働者の実情を撮った組写真や,ワルター・ネッテルベックのエッセーなどによって,徐々にルポルタージュ・フォトの方法論が明確な形をとりはじめ,《ミュンヘナー・イルストリールテ》誌の編集長となったシュテファン・ローラントによる撮影や写真の組み方の原則の明示,それにすぐれた写真家の輩出によって,1930年ころには写真週刊誌の隆盛期を迎えた(グラフ・ジャーナリズム)。ルーマニア生れのムンカッチMartin Munkacsi,アイゼンシュタットAlfred Eisenstaedt,ハンガリー生れのR.キャパ,日本の名取洋之助などはこうした環境のもとに活躍した写真家である。名取洋之助は1932年にドイツから日本に帰り,〈日本工房〉を設立してドイツで体得したルポルタージュ・フォトの方法を木村伊兵衛,土門拳らとともに実践し,日本における報道写真の道を開くことに大きな貢献をした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」