ムーレイ・アッラシード(読み)むーれいあっらしーど

世界大百科事典(旧版)内のムーレイ・アッラシードの言及

【アラウィー朝】より

…聖者崇拝思想の発展とポルトガルやスペインに対する排外的なジハード(聖戦)意識の高揚を土台に,ムハンマド・アッシャリーフをスルタンとしてターフィーラールトに建国(1631),40年には,アラウィー家のムハンマド・ブン・ムハンマドは,周辺地域を含む王とみとめられた。66年ムーレイ・アッラシードMawlāy al‐Rasīdがフェスを征服,そこを都としてモロッコを統一した。ムーレイ・イスマーイールMawlāy Ismā‘īl(在位1672‐1727)は黒人奴隷軍団al‐Bukhārīを編成して強大な兵力を誇る一方,首都をメクネスに移して国家組織を整備し最盛期を築いた。…

※「ムーレイ・アッラシード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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