世界大百科事典(旧版)内のメサジュリー・マリティームの言及
【海運業】より
…しかし1850年代以降,汽船にまず連成機関が採用され,推進方式も外輪からスクリュープロペラに,また船体素材も木から鉄,さらに鋼へと進歩すると,汽船航海の規則性は著増し,運航費も激減し,汽船による定期航路網が急速に拡大した。 とくに大西洋海底電線(1858),スエズ運河(1869)の開通にたすけられ,イギリスのP&Oやブルー・ファンネル・ラインのみでなく,フランスのメサジュリー・マリティーム会社(現,ジェネラル・マリティーム会社)やドイツの北ドイツ・ロイド汽船会社(NDL。現,ハパーク・ロイド会社)なども極東やオーストラリアに航路を延長し,大西洋航路でもアメリカのコリンズ・ラインやドイツのハンブルク・アメリカ汽船会社(HAPAG。…
【ジェネラル・マリティーム[会社]】より
…フランス海運を代表する定期船会社。その歴史は1851年に郵便船の運航会社として創設されたセルビス・マリティーム・デ・メサジュリー・ナシオナル会社Société des Services Maritimes des Messageries Nationalesにさかのぼる(1871年メサジュリー・マリティーム会社と改称)。当初は地中海とアフリカ地域の郵便定期航路の経営にとどまっていたが,1860年代に東洋に進出し,65年には横浜~上海航路を開設した。…
※「メサジュリー・マリティーム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」