世界大百科事典(旧版)内のメスアネパダの言及
【ウル】より
…初期王朝III期におけるウルの急激な発展を示すが,〈王墓〉内の人物が実際の王・王妃であったかどうかについて長く論争が続いた。いっぽうウル第1王朝の王メスアネパダらの碑文も出土し,当時ウルがシュメールの覇権を争う都市であったとする〈シュメール王朝表〉の記述も裏付けられた。アッカド時代にはいると,諸王の娘がウルの主神ナンナの女祭司に任じられる習慣が定着。…
【マリ】より
…前19~前18世紀におけるメソポタミアとシリアの政治・外交を明らかにする重要な史料で,一般に〈マリ文書〉と呼ばれている。また優れた彫刻を含む多数の遺物のなかで,ウル第1王朝の王メスアネパダがマリのガル神にささげたラピスラズリ獅子鷲像をはじめとする〈ウル遺宝〉はとくに重要である。【小野山 節】。…
※「メスアネパダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」