世界大百科事典(旧版)内のメッツのオドの言及
【ドイツ美術】より
…しかしながら古代文化とキリスト教とを両輪としたカール大帝時代の文化政策は,バイキングやイスラムの侵攻を受けることの少なかったドイツの地にもっとも多く受け継がれ,その後のドイツ文化形成の大きな基礎となった。 カール大帝がアーヘンの地に建立させた集中式プラン(八角形)の宮廷礼拝堂(805献堂)は,ラベンナのサン・ビターレ教会を手本として,フランク人メッツのオドOdo von Metzによって造営されたものである。ゲルマンの文化はこのころすでにモニュメンタルな石造建造物を独自の力で造営できる技術段階に達していたことが知られる。…
※「メッツのオド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」