世界大百科事典(旧版)内のメルヒオル派の言及
【再洗礼派】より
…この派は思想的には折衷的でフート的要素もスイス兄弟団的要素ももっていたが,財産の共有を基盤とした共同生活を営み,平和主義に徹して,この地の他の教派がすべてとだえた後も存続し,その後裔は今日も北アメリカにフーター派兄弟団として存在している。(4)メルヒオル・ホフマンMelchior Hoffman(1500以前‐1543)に始まるメルヒオル派 ホフマンは,間近い終末,それに先立つ帝国都市当局による背信者の根絶,その後に立てられる神の国の黙示録的預言によって,ストラスブールを拠点として絶大な影響力を北ヨーロッパ特に東フリースラントとネーデルラントで発揮した。ミュンスター再洗礼派王国もこの派の影響を強く受けている。…
【ミュンスター再洗礼派王国】より
…1533年初頭,司教から宗教改革公認を獲得するが,説教師ロートマンBernhard Rothmann(1495ころ‐?)の指導下で激化し,34年2月再洗礼派が合法的に市権力を掌握する。他方,ネーデルラントで迫害されていたメルヒオル派再洗礼派はミュンスターを新エルサレムとみなし大挙流入してきた。かくして新旧諸侯軍の包囲下,再洗礼派千年王国が樹立される。…
※「メルヒオル派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」