世界大百科事典(旧版)内のメンチュヘテプの言及
【エジプト】より
…これらの実験は当時興隆した文学にその痕跡をとどめている。
[中王国時代]
南北2王朝の対立は,南が北を征服して統一を回復するというエジプト史の基本パターン通り第11王朝メンチュヘテプ2世Mentuhetep IIの国土再統一で終わる。以後テーベは約1000年にわたりエジプトの政治の中心となり,その守護神アメンも王朝神・国家神として神々の王の地位を保つことになる。…
【アメンエムハト[1世]】より
…在位,前1991年ころ‐前1962年ころ。前2040年ころエジプト再統一に成功した第11王朝の最後の王メンチュヘテプ4世下の同名の宰相とおそらく同一人物で,急激な中央集権化策に反発した地方豪族の支持を背景に,クーデタにより新王朝を開いたとみられる。世襲貴族の特権を大幅に認めると同時に,中央集権国家の実現をめざして,南のテーベから北のファイユームへの王都移転,地方行政単位であるノモスの境界の確定(同時に灌漑水路網の用水権の国家による明確化),王に忠実な官僚の養成のための工人層を中心とする庶民の子弟を対象とした教育制度の整備などを行った。…
※「メンチュヘテプ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」