世界大百科事典(旧版)内のメーリャ人の言及
【ロストフ・スーズダリ公国】より
…その領域は,北はラチャ湖,ウスチヤ川から南はクリャジマ川,ロパスニャ川まで,東はウンジャ川,ユグ川から西はトベルツァ川にまで至る広大なものであった。最古の都ロストフがロシア最古の《原初年代記》の862年の記事中にメーリャ人の中心地として現れているように,この地は本来メーリャ人をはじめとするフィン・ウゴル語派に属する言語を話す人々の居住地であったが,スラブ人の移住により融合・同化したものである。11世紀後半から12世紀第1四半期までロシア南西部のペレヤスラフ公に帰属していたが,1125年ウラジーミル・モノマフが息子ユーリーに分領地として与えて以後,政治的に自立する傾向を強めた。…
※「メーリャ人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」