モチェ(読み)もちぇ

世界大百科事典(旧版)内のモチェの言及

【チムー文化】より

…その成立に関しては,王国を築いた人々が南からバルサ筏でやってきたという伝説などがわずかに伝えられるが,ほとんど何もわかっていないし,考古学的にも証明されてはいない。おそらく1000年ころにモチェの谷に住む人々が,古い伝統的なモチカ文化と直前に栄えたワリ文化の要素とを融合して独自の文化をつくりあげたものであろう。王国の主都チャンチャンは20km四方におよぶ広大な規模をもち,モチェ川沿いの海岸に臨む平野部を占め,政治,経済,社会,文化の中心となり,一説には膨大な人口を擁したといわれる。…

【モチカ文化】より

…南アメリカ,ペルー北部海岸のチカマ,モチェMoche両流域を本拠とした文化。第1ホライズンのチャビン文化の後,100‐800年ころに,ペルー南海岸のナスカ文化,ボリビア高原のティアワナコ文化などとともに,いくつかの地域に分散,発展していった。…

※「モチェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む