世界大百科事典(旧版)内のモンタギュー,E.S.の言及
【インド省】より
…例外は第2次世界大戦時のチャーチルの戦時内閣の閣外相となったエーマリーである。20世紀になってからの著名なインド大臣は,その名がそれぞれインドにおける重要な改革と結びついているモーリーおよびモンタギュー,1935年インド統治法の作成に当たったホーア,第2次大戦期のエーマリー,第2次大戦後の労働党内閣の一員で内閣使節団Cabinet Missionに参加してインドで独立交渉に当たったペティック・ローレンスなどである。彼らはだいたいが長い経験をつんだベテラン政治家で,就任までとくにインドと関係をもっていたのではない。…
【モンタギュー=チェルムスフォード報告】より
…第1次大戦終局前の1918年4月にイギリス議会に提出された,戦後のインドに対して行うべき統治上の改革に関する報告書で,正式にはインド制憲委員会報告という。大戦半ばの1917年8月に新たにインド大臣に任命されたモンタギューEdwin Samuel Montaguが〈インドにおける責任政府の漸次的実現〉に関する声明を行い,それに従って現状視察のために来印してインドの藩王や政治指導者らと会見し,総督チェルムスフォードF.J.Napier,1st Viscount Chelmsfordと連名で提出したのがこの報告であった。部分的にであるが,立法と行政の面で初めて州に実体的意味を賦与したのが特徴である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」