世界大百科事典(旧版)内のモンドラーネ,E.の言及
【モザンビーク】より
… 1951年にモザンビークの政治的地位は植民地から海外州に変わったが,ポルトガル本国との結びつきはいっそう強まった。62年モンドラーネEduardo Mondlane(1920‐69)を議長に結成されたモザンビーク解放戦線(FRELIMO)は,隣国タンザニアを基地として64年から武力闘争を開始し,翌年には国土の20%に当たる北部を解放した。モンドラーネは69年に郵便爆弾によって暗殺され,代わって議長にはマシェルSamora Moïsés Machel(1933‐86),副議長にはドス・サントスMarcelino dos Santos(1931‐ )が選ばれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」