世界大百科事典(旧版)内のヤールブ朝の言及
【アラビア半島】より
… それより先,ポルトガル人のインド洋進出が始まり,彼らは1508年にオマーンを占領し,その後ペルシア湾貿易の覇権を巡ってオランダとポルトガルの競争が続き,17世紀には東インド会社のイギリスが進出した。ヒジャーズはハサン家の支配のもとで事実上独立し,オマーンではイバード派のヤールブ朝(1624‐1741)が興ってポルトガル人を追放した。
[近代]
ナジュド地方東部のダルイーヤの族長ムハンマド・ブン・サウードが,ワッハーブ派の創始者ムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブと手を携えて新しい国づくりを始めたのは,18世紀半ばのことであった。…
※「ヤールブ朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」