世界大百科事典(旧版)内のユニバーサル・シティの言及
【撮影所】より
…これは,撮影所全体をインスの意志のもとに統一した分業化で,のちに映画の製作システムとして確立された〈プロデューサー・システム〉の先駆的な導入でもあった。さらに,ハリウッドの歴史に残る一つは,映画トラストに反対する〈インデペンデント・モーション・ピクチャーズ〉の中心的人物であったC.レムリ(1867‐1939)が,15年にサン・フェルナンド・バレーに建設した〈ユニバーサル・シティ〉と呼ばれる230エーカーの映画都市studio municipalityである。2万人の映画関係者が開所式を祝ったといわれるこの撮影所は,屋内でも屋外でも自由に撮影ができ,ルドルフ・バレンティノをはじめ多くのスターや監督たちの生れ故郷となり,のちにハリウッドの代表的製作者となったMGMのA.タルバーグとコロムビア映画のH.コーンもレムリの秘書をしてここから巣立った。…
【ユニバーサル[会社]】より
…映画館の経営から出発したレムリは,映画の商業的基盤は俳優の名声にあると考え,〈バイオグラフ・ガール〉として知られていたバイオグラフ社所属の女優フローレンス・ローレンスFlorence Lawrence(1886‐1938)を,当時にしては破格の週給1000ドルという契約で引き抜き,その名まえを初めて映画のタイトルにかかげて,ハリウッドにおける〈スター・システム〉の基礎を築いた。また,ニューヨークを中心に映画製作から興行まで独占していたモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニーに対抗して拠点をロサンゼルスに移し,15年,サン・フェルナンド・バレーに一大映画都市ともいうべき撮影所〈ユニバーサル・シティ〉(今日ではガイド付きの見学ツアーが行われている)を建設して,ハリウッドを映画の中心地にすることに大きく貢献した。 こうして初期のユニバーサルは,エーリヒ・フォン・シュトロハイムの初期の監督作品《アルプス颪(おろし)》(1918),《悪魔の合鍵》(1920),《愚なる妻》(1921)をはじめ,人気西部劇スター,ハリー・ケリーHarry Carey(1878‐1947)の主演作品(ジョン・フォード監督《幽霊騎手》1918,《熱血の焰》《疾風の如く》ともに1921,等々)や伝説的な美男スター,ルドルフ・バレンチノの《荒鷲》(1925),《熱砂の舞》(1926)によって活況を呈した。…
※「ユニバーサル・シティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」