世界大百科事典(旧版)内の《ライマールスよりウレーデまで――イエス伝研究史》の言及
【シュワイツァー】より
…当時はドイツ領であったエルザス(アルザス)のカイザースベルク(ケーゼルベール)に生まれ,シュトラスブルク(ストラスブール)大学に学んで《カントの宗教哲学》(1899)により哲学博士となる。そのあとJ.S.バッハの研究とパイプ・オルガンの演奏に傾倒するとともに神学研究を進め,1902年には同大学講師となり,《メシアと受難の秘密》(1901),《J.S.バッハ》(1905),学問的に高く評価された《ライマールスよりウレーデまで――イエス伝研究史》(1906),《パウロ研究史》(1911)などを,やつぎばやに刊行した。05年にパリ・バッハ協会を創立したが,この年の春に霊的衝撃を感じて黒人医療に一生を捧げる決意をし,医学の修業に入った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」