世界大百科事典(旧版)内のライン条約の言及
【戦間期】より
… ルール占領が引き起こした国際危機がこうしてひとまず回避されたのち,ヨーロッパの平和はロカルノ条約(1925年12月)によっていっそう固い基盤を与えられた。これはフランス,ドイツ,ベルギー,イギリス,イタリアの間で結ばれたラインラントの現状維持に関する集団安全保障条約(ライン条約ともいう)で,ドイツが自発的にベルサイユ条約の規定を再確認したことの意義は大きい。ただドイツがその東部国境については同じような義務を引き受けることを拒否したことは,将来のドイツの対東ヨーロッパ政策の方向を暗示していた。…
【ロカルノ条約】より
…1925年10月5日よりスイスのロカルノで,イギリス,フランス,ベルギー,ドイツ,イタリア,ポーランド,チェコスロバキア各代表が参加してヨーロッパの安全保障に関する国際会議が開催された。10月16日,最終議定書のほか,イギリス,フランス,ベルギー,ドイツ,イタリア5ヵ国のラインラントの現状維持に関する相互保障条約(いわゆるロカルノ条約,あるいはライン条約),ドイツとフランス,ベルギー,ポーランド,チェコスロバキアの各国との四つの仲裁裁判条約が仮調印され,12月1日,ロンドンで正式に調印された。
[内容]
相互に関連したこれら諸協定の中核は,10ヵ条よりなるライン条約である。…
※「ライン条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」