世界大百科事典(旧版)内のラシュカ派の言及
【ユーゴスラビア】より
… このころになると,内陸の山岳地域でセルビア人がネマニッチ朝のもとで国家を形成し(1169),多くの修道院が建てられ,教会堂内部はフレスコで飾られた。これらセルピア南部ラシュカRaška地方の修道院・教会堂建築は,アドリア海沿岸経由のイタリア・ロマネスク様式を典礼上の要請に合わせて修正したものであり(〈ラシュカ派〉と呼ばれる),西正面の彫刻もイタリアに由来する。他方,内部のフレスコは,ストゥデニツァStudenicaの聖母教会(1196献堂)のコムネノス朝様式からミレシェボMileševoのなまなましいまでの個性表現を経て,ソポチャニSopoćaniにおける堂々たる人体表現に至るパレオロゴス朝ルネサンスの生成のプロセスを,ラテン帝国下のコンスタンティノープルに代わって示すもので,ビザンティン絵画の基準作品と考えられている。…
※「ラシュカ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」