世界大百科事典(旧版)内のラットゥアーダ,A.の言及
【ネオレアリズモ】より
…なおアメリカではこれを〈イタリアン・リアリズム〉ともいった。 〈ネオレアリズモ〉の創始者は前記のロッセリーニ,デ・シーカ,ビスコンティの3人とされ,その周辺に,《陽はまた昇る》(1946)のアルド・ベルガノ,《無法者の掟》(1949)のピエトロ・ジェルミPietro Germi(1914‐74),《ポー河の水車小屋》(1949)のアルベルト・ラットゥアーダAlberto Lattuada(1914‐ ),《荒野の抱擁》(1947)のジュゼッペ・デ・サンティス,《平和に生きる》(1946)のルイジ・ザンパLuigi Zampa(1905‐91)などがいる。ミケランジェロ・アントニオーニ,フェデリコ・フェリーニらはこの後の世代になる。…
【81/2】より
…モノクロ作品。フェデリコ・フェリーニ監督の9本目の作品だが,第1作の《寄席の脚光》(1950)はアルベルト・ラットゥアーダとの共同監督であったので1/2と数え,総作品本数の81/2をそのまま題名にしたものである。この題名のつけ方からも,これが彼の過去の作品の総括であり,また新しい出発点であり,そのマニフェストであることがわかる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」