世界大百科事典(旧版)内のラデ沖の海戦の言及
【ペルシア戦争】より
…翌年,反乱勢力はギリシア本土のアテナイとエレトリアの加勢を得てサルディスを急襲した。反乱の火の手は瞬時にヘレスポントス地方,キプロス方面にまで拡大してペルシア王ダレイオスを悩ませたが,やがてペルシア側の反撃体制が整い,いまや〈イオニア連合〉の結束を固めるまでに至った反乱勢力を前495年ころのラデ沖の海戦で切り崩し,前494年,反乱の拠点ミレトスを陥落させて反乱を鎮圧した。しかし,ペルシア側は露骨な僭主擁立政策の放棄を宣言せざるをえなかった。…
※「ラデ沖の海戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」