世界大百科事典(旧版)内のランツゲマインデの言及
【ウーリ[州]】より
…鉄道の時代に入り,1882年のザンクト・ゴットハルト・トンネルの開通は住民の移動をひきおこし,ウーリに変化をもたらした。1231年までその起源をさかのぼれるランツゲマインデ(直接民主政住民集会)も1928年に廃止された。しかし,古くからの住民は二つのアルプ(アルプス高原牧場)共同体に所属し,その運営は現在でもランツゲマインデの形式を保っている。…
【ウンターワルデン[州]】より
…ニートワルデンはシュタンス近郊に産業地帯をかかえ,オプワルデンより財政的には優位になっている。現在なおランツゲマインデ(直接民主政住民集会)をウィル村で行っている。1386年のゼンパハの戦の伝説的英雄ウィンケルリートArnold von Winkelriedはこの地の出身と言われる。…
【グラールス】より
…88年のネーフェルスNäfelsの戦に勝利してハプスブルク家から自立した。その前年開催されたランツゲマインデ(直接民主制住民集会)は,今日まで維持され,毎年5月第1日曜日に開催されている。主要交通幹線から離れた地にあり,経済的には衰退する傾向にある。…
【スイス】より
… スイスでは直接民主政が採用されているが,有権者が議場に直接赴き,討論・議決するという真の直接民主政をとっているのはカントンとゲマインデ・レベルだけである。カントンの直接民主政はランツゲマインデ(住民集会)の形で行われるが,現在ではグラールスのほか三つの半カントンで行われるだけになっている。連邦やカントンで行われている直接民主政は国民投票(住民投票)と国民発議(住民発議)で,正確には半直接民主政というべきものである。…
【村】より
…例えばそこからは,〈むら〉の裁判集会につき,多くの場合,大きな菩提樹などのある広場へ席を設け,成年男子の農民全員を集めて,毎年一定の日時に,村内で発生した具体的な係争事件につき判決を発見し,判告を全員に読み上げる光景が読み取れるが,この集会の上席には必ず領主側の役人がおり,村方のそれと立ち会う形をとりながら,集会の運営に大きく関与していたことがわかる。しかしそれにもかかわらず,構成員の全員参加による判決の発見,団体意思の確認という手続きと形式は,スケールこそちがえ,今日スイスの各州(カントン)自治体で行われている直接民主主義的なランツゲマインデLandsgemeindeの原型を思わせるものがある。 村方判告録ないし村法は,このような性格をもつものであるため,その地域差が大きく,中世都市の勃興期に達成されたあのすぐれて自主的・誓約団的な,また相互に共通点の多い〈都市法〉と比較するならば,その自治の法理や諸制度の面で質的な相違があるといわなければならない。…
※「ランツゲマインデ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」