世界大百科事典(旧版)内のラーマン,Z.の言及
【バングラデシュ】より
…全権はヤヒヤー・ハーン戒厳令総司令官が掌握したが,情勢は総選挙を実施する以外に収拾の道はなかった。
[独立]
70年12月の総選挙で,1949年結党以来東パキスタン自治要求運動の先頭に立ってきたアワミ連盟が,66年3月の〈6項目要求〉を綱領に掲げ,ムジブル・ラーマンの指導下に勝利,国民議会の過半数を制した。ヤヒヤー政権はアワミ連盟内閣の成立を認めるか,従来のパキスタン体制を武力で維持するかの岐路に立たされた。…
※「ラーマン,Z.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」